進撃の巨人-分析4-現実との比較-記憶の操作と検閲

物語では、始祖の巨人はユミルの民の記憶を操作できることになっている。
物語終盤では、エレンがこの能力を使って、ミカサやアルミンの記憶を消していたが、
物語初期では、壁の中の民に「壁の外の人類は滅びた」という風に信じ込ませる役割を果たしている。

もちろん、現実には人の記憶を操作できないが、検閲等によって人の考えをある程度変えることは可能で、現実に独裁政治の国では行われている。
そして、独裁者の言説を信じていない人ももちろんいる。物語でも、アッカーマンが記憶を操作されない、ということがあったように。
実は日本も、敗戦直後はGHQというアメリカの機関が検閲を行い、占領軍に対する批判を出来ないようにしていた。占領軍の言説を熱狂的に信じる人がいて、第二次世界大戦は日本軍のせいで起きたから、日本の軍備を強化することに徹底的に反対した。
確かに、占領軍が撤退した後は検閲はなくなったのだが、政治的主張を持つものはアクティブに動くので、一般人がさほど安全保障問題に関心がないこともあり、学校、マスコミでは彼らの言説が支配的になり、
結果として、彼らの考えがそれなりの人から信用されるようになり、その言説を批判できない空気が生まれた。
アッカーマンが壁の中では少数派であったように、現実をしっかり分かっている者は少数だった。
物語でも現実でも、平和思想に染まらない人は、平和の敵と位置づけられる。

そうした敗戦後の歴史の捉え方以外とは異なり、日本人自身が、その平和的非戦論的考え方を気に入ったという解釈もある。
「和」の考え方を重んじる日本民族としては、(アメリカが石油全面禁輸をしてきたために)せざるを得なかった第二次世界大戦が終わって、平和思想が出てきたときは、ようやくこれで自分らしく生きられる、と安堵したということだ。
敗戦でキリスト教が(韓国と比べても)全く広まっていないのに対して、平和憲法が受け入れられたということは、結局のところ敗戦のショックとかではなく、平和憲法を自分の感覚に合うものとして取り入れた、と見ることもできる。

歴史の解釈にはさまざまなものがあるだろう。しかし、ここでいいたいのは、作者がどんな歴史観をもっていると推測できるか、である。


情報の(ゆるやかか徹底的かはともかく)コントロールによって、軍備を強化することを阻まれている状況(直接マインドコントロールされているわけではない)というのは、物語でも現実でも共通である。

次回は記憶の改竄の仕方を物語と現実とで比較する。