進撃の巨人-分析5-現実との比較-歴史解釈

物語では、最初は記憶を改ざんされて、壁の外の人類は滅びたと思いこませた。

日本も一昔前は、平和の敵は日本の中にだけあって、中国や北朝鮮を敵視するのは軍国主義だと批判する考え方が一般的であり、今でも多少残っている。
そうした平和主義の考え方に染め上げようとしていたのだ。
当然、民を守ろうという気概が全くない。無知の人を騙して、社会主義思想が浸透していくことが楽園だと考える人が多数いた。
そうした政治的な考えに沿うように、歴史も捏造された。

物語でも、壁の中の民とは話だが、
「エルディア帝国が大地の悪魔と契約し力を手に入れ、他の民族を弾圧し、土地や財産を奪い、いくつもの民族が死に絶える一方、他民族に無理やり子を産ませた」
という物語をマーレで教えられていたことが描かれている。
エルディア人すらも、それを信じて、「自分は名誉マーレ人だ、悪いエルディア人ではない」と主張する。
(日本人も、日本の後進性を特に強調することで、名誉白人のようになれたことを誇りに思っている人が少なからずいると推測される)
ただし、作者は、ユミルの肯定的な面だけを正しいとする解釈にも否定的であると思われる
「ユミルは巨人の力に目覚め、荒れ地を耕し、道を造り、橋をかけたた 豊かにして大陸を発展させた」というような説を無条件に信じたグリシャをバカっぽい民族派として描いている。
ユミルの民がよいことだらけだった、ということは、「俺の知っている人間とかけ離れている」として、作者は否定している。
つまり、自国の良い点だけを並べるような、(一部の)右翼・民族派の考え方に対しては、現実の世界でも、よい印象を持っていないのではないだろうか。

現実の歴史については、作者の考え方を推理してみよう。
日本軍が悪かったということが一般的な通説になっているが、作者は違うと思っているのではないか。
もちろん、前のパラグラフで述べた通り、、完全に美化しているとは思えない。
現実世界では、保守派・民族派は、理屈というよりは感情に訴えかける語り方をする人が多いが、そのことをグリシャに重ね合わせているように思える。
つまり、日本軍については、悪い部分と良い部分があったぐらいに思っているのだろうか。
南京虐殺従軍慰安婦は捏造で、日本の韓国植民地統治にいい面もあった、しかし、関東大震災での朝鮮人虐殺事件はあった、ぐらいの立ち位置かと推測される。

祖先が行った行為(物語では、エルディア帝国の残虐行為、現代日本では旧日本軍の犯罪行為)によって罪悪感を植え付ける方法は、物語でも現実でも似ているように思える。
マーレがエルディア人を根絶やしにしない理屈として「本来なら根絶やしにされてもおかしくない立場だが、その発想が悪魔の末裔だからであり、寛大なマーレは我々を殺さず生きる土地を与えてくださったのだ」
と書いてあるが、このやり方は、捕虜に対して過剰なほど良い待遇(医療行為、食事)を与えた毛沢東のやり方と少し重なる。
彼らは、日本に帰国した後、中国共産党の手先として、日本軍がいかに悪い行為をしたのかを徹底的に広め、中国に大きな利益(ODA等)をもたらした。

物語を見ると、エルディア人は自分の民族の歴史を否定することにより、本来戦わなければならない存在に対して利する行為を行ってしまっている。
直接的な武力の戦い以前に、アイデンティティーを失うことにより、言葉、思想の戦いでも負けてしまっているのだ。
現実でも、「日本人は祖先が行った行為を否定させられることで、うまく団結して戦えないようにされている」、という風に作者が見ている可能性がある。
実際、直接的な戦争、経済的競争以外に、民族のアイデンティティーに関する戦いというものがあり、それに日本が負けている、というのはある程度もっともらしいように見える。