論点整理 - ワクチン - 医学

ワクチンに関する議論が続いている。
本ブログでは、どちらかの立場を取るのではなく、どんな論点で論争をしているのか、を整理してみたい。
これらすべての論点で正しく議論できれば、自然と結論が出ると思われる。

まずは、医学知識がない人でもできる統計分析や道徳・法律上の問題ではなく、
本格的な医学知識がある専門家達の中でどんな議論がなされているか、である。

・多くの人がワクチンという言葉から想像する通りのワクチンか、呼び名がワクチンなだけで、遺伝子治療に近いものか
・遺伝子ワクチン開発で問題となったADEは解決したのか。
 SARSやエボラで同じように、安全な遺伝子ワクチンはできたのか。できていないのなら、新型コロナだけ解決できたのはなぜか。
・死因がワクチンだった場合、早期にそれが証明できるような機器(血中D-ダイマ等)が準備されているか
・苛烈な副反応が出ているにもかかわらず、mRNA等薬の成分がすぐに分解され、体への悪影響が少ないとする十分な根拠があるか
・論文での検証結果の解釈
 血清学的分析によるmRNA長期間残存・抗原原罪の可能性(Cell)
 試験管内逆転写(スウェーデン大学)
  日本神経内科学会(後遺症議論、2022/3)
 ADE抗体(阪大荒瀬論文)
 抗体量研究(藤田医科大学)
・副反応以外のデメリットの分析は十分か ex) 免疫低下による帯状疱疹再発などは発生していないか
・体内に残ってしまう薬物の量の測定方法は、薬動学的解析として正しいか。
 経過時間は十分長くとって観察をしているか。
 動物実験の場合、人間との違いは考慮されているか。
 卵巣等小さい器官については、相対的に小さい残量が大きな影響を及ぼす可能性を考慮しているか。
・mRNAの性質の考察は十分か
 ポリエチレングリコールの性質である細胞との親和性が、mRNAの性質に影響を与えていないか
 逆転写酵素のリスクの考察は十分か
 mRNAのウラシル部分の人工的な変換が、分解の確実性に影響を与えていないか
 プラス荷電としての性質が、アナフィラキシーのリスクを高めているのではないか
 筋肉はスパイク蛋白を作りやすいという性質が安全の保証になるか、細胞の間の間隙に液が入っているのではないか

これらの論点をすべて網羅して、ワクチンの安全性を主張しているホームページや本は、私はまだ知らない。
もちろん、懸念点にすべて答えられなかったとしても、ワクチンが安全である、という可能性がないわけではない。
そして、そもそもこんな医学的議論は素人が判断できないから、すべて専門家に任せてしまおうという人もいる。
しかし、論点を収集してみたら上のようになった。
不足があれば、ご指摘いただければ修正したいと思っている。

 

進撃の巨人-分析5-現実との比較-歴史解釈

物語では、最初は記憶を改ざんされて、壁の外の人類は滅びたと思いこませた。

日本も一昔前は、平和の敵は日本の中にだけあって、中国や北朝鮮を敵視するのは軍国主義だと批判する考え方が一般的であり、今でも多少残っている。
そうした平和主義の考え方に染め上げようとしていたのだ。
当然、民を守ろうという気概が全くない。無知の人を騙して、社会主義思想が浸透していくことが楽園だと考える人が多数いた。
そうした政治的な考えに沿うように、歴史も捏造された。

物語でも、壁の中の民とは話だが、
「エルディア帝国が大地の悪魔と契約し力を手に入れ、他の民族を弾圧し、土地や財産を奪い、いくつもの民族が死に絶える一方、他民族に無理やり子を産ませた」
という物語をマーレで教えられていたことが描かれている。
エルディア人すらも、それを信じて、「自分は名誉マーレ人だ、悪いエルディア人ではない」と主張する。
(日本人も、日本の後進性を特に強調することで、名誉白人のようになれたことを誇りに思っている人が少なからずいると推測される)
ただし、作者は、ユミルの肯定的な面だけを正しいとする解釈にも否定的であると思われる
「ユミルは巨人の力に目覚め、荒れ地を耕し、道を造り、橋をかけたた 豊かにして大陸を発展させた」というような説を無条件に信じたグリシャをバカっぽい民族派として描いている。
ユミルの民がよいことだらけだった、ということは、「俺の知っている人間とかけ離れている」として、作者は否定している。
つまり、自国の良い点だけを並べるような、(一部の)右翼・民族派の考え方に対しては、現実の世界でも、よい印象を持っていないのではないだろうか。

現実の歴史については、作者の考え方を推理してみよう。
日本軍が悪かったということが一般的な通説になっているが、作者は違うと思っているのではないか。
もちろん、前のパラグラフで述べた通り、、完全に美化しているとは思えない。
現実世界では、保守派・民族派は、理屈というよりは感情に訴えかける語り方をする人が多いが、そのことをグリシャに重ね合わせているように思える。
つまり、日本軍については、悪い部分と良い部分があったぐらいに思っているのだろうか。
南京虐殺従軍慰安婦は捏造で、日本の韓国植民地統治にいい面もあった、しかし、関東大震災での朝鮮人虐殺事件はあった、ぐらいの立ち位置かと推測される。

祖先が行った行為(物語では、エルディア帝国の残虐行為、現代日本では旧日本軍の犯罪行為)によって罪悪感を植え付ける方法は、物語でも現実でも似ているように思える。
マーレがエルディア人を根絶やしにしない理屈として「本来なら根絶やしにされてもおかしくない立場だが、その発想が悪魔の末裔だからであり、寛大なマーレは我々を殺さず生きる土地を与えてくださったのだ」
と書いてあるが、このやり方は、捕虜に対して過剰なほど良い待遇(医療行為、食事)を与えた毛沢東のやり方と少し重なる。
彼らは、日本に帰国した後、中国共産党の手先として、日本軍がいかに悪い行為をしたのかを徹底的に広め、中国に大きな利益(ODA等)をもたらした。

物語を見ると、エルディア人は自分の民族の歴史を否定することにより、本来戦わなければならない存在に対して利する行為を行ってしまっている。
直接的な武力の戦い以前に、アイデンティティーを失うことにより、言葉、思想の戦いでも負けてしまっているのだ。
現実でも、「日本人は祖先が行った行為を否定させられることで、うまく団結して戦えないようにされている」、という風に作者が見ている可能性がある。
実際、直接的な戦争、経済的競争以外に、民族のアイデンティティーに関する戦いというものがあり、それに日本が負けている、というのはある程度もっともらしいように見える。

 

進撃の巨人-分析4-現実との比較-記憶の操作と検閲

物語では、始祖の巨人はユミルの民の記憶を操作できることになっている。
物語終盤では、エレンがこの能力を使って、ミカサやアルミンの記憶を消していたが、
物語初期では、壁の中の民に「壁の外の人類は滅びた」という風に信じ込ませる役割を果たしている。

もちろん、現実には人の記憶を操作できないが、検閲等によって人の考えをある程度変えることは可能で、現実に独裁政治の国では行われている。
そして、独裁者の言説を信じていない人ももちろんいる。物語でも、アッカーマンが記憶を操作されない、ということがあったように。
実は日本も、敗戦直後はGHQというアメリカの機関が検閲を行い、占領軍に対する批判を出来ないようにしていた。占領軍の言説を熱狂的に信じる人がいて、第二次世界大戦は日本軍のせいで起きたから、日本の軍備を強化することに徹底的に反対した。
確かに、占領軍が撤退した後は検閲はなくなったのだが、政治的主張を持つものはアクティブに動くので、一般人がさほど安全保障問題に関心がないこともあり、学校、マスコミでは彼らの言説が支配的になり、
結果として、彼らの考えがそれなりの人から信用されるようになり、その言説を批判できない空気が生まれた。
アッカーマンが壁の中では少数派であったように、現実をしっかり分かっている者は少数だった。
物語でも現実でも、平和思想に染まらない人は、平和の敵と位置づけられる。

そうした敗戦後の歴史の捉え方以外とは異なり、日本人自身が、その平和的非戦論的考え方を気に入ったという解釈もある。
「和」の考え方を重んじる日本民族としては、(アメリカが石油全面禁輸をしてきたために)せざるを得なかった第二次世界大戦が終わって、平和思想が出てきたときは、ようやくこれで自分らしく生きられる、と安堵したということだ。
敗戦でキリスト教が(韓国と比べても)全く広まっていないのに対して、平和憲法が受け入れられたということは、結局のところ敗戦のショックとかではなく、平和憲法を自分の感覚に合うものとして取り入れた、と見ることもできる。

歴史の解釈にはさまざまなものがあるだろう。しかし、ここでいいたいのは、作者がどんな歴史観をもっていると推測できるか、である。


情報の(ゆるやかか徹底的かはともかく)コントロールによって、軍備を強化することを阻まれている状況(直接マインドコントロールされているわけではない)というのは、物語でも現実でも共通である。

次回は記憶の改竄の仕方を物語と現実とで比較する。 

進撃の巨人-分析3-現実との比較-初期政治思想

物語初期時点の一般人の世論は、壁を信じるというものである。

あっさりと破られてしまう壁は、日米同盟(日米安全保障条約)に例えられていると考えられる。
細かい条文解釈は置いておくとして、大半の日本国民は概ね「軍事協定であり、アメリカが日本の防衛をサポート、日本もアメリカの戦争をサポート」する約束という風に見ている。
日米同盟が日本の安全保障で果たしてきた役割は、実質的に様々なところで綻びがありつつも、それなりにある、と筆者には思える。
そして、多くの日本人は、この日米同盟のおかげで日本は平和である、と考えている。
(日本国憲法の平和主義のおかげで平和である、と考える人も一定数存在する。)

だが、冷静に考えて、アメリカの若者が日本のために血を流すということは考えられない。
つまり、現代日本にとっても、日米同盟という(みんなから信用されている)壁があっけなく壊れる、ということはそんなに突飛な話ではない。

進撃の巨人では、壁は100年間安全だったという。日米同盟は50年間以上続いている。
進撃の巨人では、壁が破られた時、戦う覚悟が出来ていない駐屯兵団の無様な様子が描かれている。
戦う覚悟ができていなければ、当然の成り行きである。
おそらく、日本でも、壁が破られた時は同じ状況になるだろう。もちろん、どの国でも戦争状態で的確な判断ができるわけではないが、
日本ではさらにひどい状況になると考えられる。

壁を信じない調査兵団への冷たい目線は、日米同盟を疑問視し、自主防衛を唱える者への冷ややかな視線と重なる。

現代日本人の大半は、壁を信じる人々に重なる。
作者は、「壁(日米同盟)の問題」に気づいている人からすれば奇妙としか見えない現代日本人の心理、振舞いを丁寧に描きつつ、
壁が壊れたらどうなるのか、という考察をしているのではないか、と思われる。

 

進撃の巨人-分析2-現実との比較-壁内政治

物語は、壁の中での話から始まる。
では、壁の中の政治はどうだなのか。

物語での描写は以下のとおりである。
・統治体制に不満を持つ民衆は多くない
・土地は狭く、経済環境がよくなく、税の負担が増加
・でも、暴動は起きない
・貧富の格差はあるが、平和
・無能でも無害な政治のほうがずっとマシ、という民衆の声

これは現代日本の政治状況に非常に似ている。
確かに日本の政治に対する批判はたくさんあり、賞賛する声は少ない。そして、実際に経済環境はよくなく、貧富の格差も格差し、
消費税についても、社会保障の充実状況と比較するといいとは言えない。
しかし、暴動を起きていない。
理念を追求していく理想的な政治を求めるというより、現実的な考えて政治が運営されることを重視しているように見える。
これは、オウム真理教連合赤軍など、理想を求めた人の結果があまりにもひどいものだったから、悪い意味での保守的な考えが定着してしまったと言える。

もちろん冷静に考えれば、日本は世界的に見てもそれなりに羨ましがられる側面がある国であり、暴動が起きないというのも単なる村社会根性だと言うこともでき、
異なる部分があることは確かだが、類似している部分が多いことは間違いないと言える。

進撃の巨人-分析1

進撃の巨人について、政治的な意図があるいう説がある。

旧日本軍の人物をモデルにしたり、収容区がナチス強制収容所を思い出させるという指摘がある。壁信仰も、憲法9条信仰に例えているとしか見えない。

しかし、作品全体、特にラストを見ると、政治的な主張をするために書いた作品とは思えない。

おそらく、テーマや読者に伝えたいことは政治的なものではなかったが、作品を創るときに、作者の政治的な考えを隠そうとせず、逆に様々なところに入れ込んだ、というのが正確な理解だと思われる。

では、作者はどんな政治的な考えをもっているのか。作品を分析することで作者の心を分析できるのではないかと思われる。

このブログではそれを試みてみたい。